脳科学者、中野信子氏の「エレガントな毒の吐き方」を読んで

紅葉 読んだ本

エレガントに毒を吐くっていったいどうゆうこと?

「エレガント」な人は基本的には毒を吐いたりしないと思うのだけど、京都の人に学ぶというところがとても興味をそそられるのは私だけだろうか。

不快なことを見聞きすれば不愉快ですし、嫌なことをされたら気分が悪いのは当たり前のこと。その当たり前のことを、無視したり、抑圧したりして、なかったことにするのではなく、「エレガントな毒」として昇華しながら、自分の心も相手との関係性も大切にマイルドに扱っていこうと言う知恵が、京都人たちのイケズの中にはあるように思います。

エレガントな毒の吐き方 中野信子

京都といえば独特な方言と言い回しが、他県のものには親しみを持っていわれているのか、なんだかよくわからないのだが、この本でなんとなくではあるが理解できた気もする。

本音などはっきり言わなくていいし、何が本音なのか自分でもわからない。

スカっと相手をやり込める、と言うのは、相手を打ち負かしてそのあとのことを考えないと言う事でもあります。もう二度と会わない人が相手であればいいかもしれませんが、それにしても逆恨みされて、何らかのリスクをおうと言うことになりかねません。

エレガントな毒の吐き方 中野信子

ここでもう一度確認しておかなければならないのは、言わなくていい本音はいっぱいある、ということです。本音を言って、傷つけ合うコミニケーションを取ることばかりが、最善の方法ではないはずです。

エレガントな毒の吐き方 中野信子

ズバッとスカッと言いたいことが言えたらどんなに良いだろう。

でもそれは自分の人生に結構なリスクを負うことになるのはわかる気がする。

ほんの些細なことまで含めれば、我慢して暮していることも意外に多いような気もする。

ならばうまいこと言いたいことを伝えてみるのはいい案である。

何もストレートにズバッといわなくてもいいのである。

京都の言い回しはなかなかいい感じなのである。

相手に配慮して伝える。

本文は、実際にどうやって人に自分の気持ちを伝えるか、シーンごとに具体例がたくさん載っていた。

特に印象に残ったのか自分はわざと知らないふりをして、やんわりと相手の間違えに気づいてもらう言い回し。

とても参考になるので、方言はともかく実生活でも使ってみたら良いのではないかと思った。

明らかに漢字を読み違えていることを指摘したいときは?

京都式の例

(「鳥丸(とりまる)通りってどこですか?」と尋ねられて)

「鳥丸は知りまへんけど、烏丸(からすま)やったら、この道を左です」

頭ごなしに間違いを指摘せず、自分が「鳥丸」を知らないと言うスタンスで正解を教える。

教えられたほうも読み間違いにすぐに気づく気もするが、その時気づかずに後で気づいたなら顔から火が出そうである。通りすがりの人ならばそれはそれで良いのだが。

ただその場で間違いを指摘されるのもどうだろう。

これが「京都式エレガンス」なのか。

まとめ

京都の人は東京から来た人も、「地方から来はったん?」と言われるとか言わないとか。

ただ京都の方も伝えたいことに相手が気づくかどうかは気にしてないらしい。

これが京都らしさなのか。

こういう本を読むと日本も広いなっつくづく思う。

私の独断と偏見ではあるが、京都人のなんとも高貴な近寄りにくいイメージが少しやわらいだようだ。

人生の長さは無限ではありません。

長くても100年ちょっとしかない、有限の時間です。

本当に限られたあなたのかけがえのない時間なのですから、そのうち、数%であっても、我慢して不本意な状態で過ごさなければならないとしたら、その時間は、本当にもったいないことになってしまっているのではないでしょうか。どうせなら、できるだけ気持ちよく過ごしたいーそれが、ほとんど人類共通と言ってよい、大多数の人々の願いだろうと思います。

エレガントな毒の吐き方 中野信子

最後まで読んでいただきありがとうございます。私の勝手気ままの感想ですのでご容赦ください。

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