脳科学者、中野信子氏の「脳の闇」を読みました。

ダリア 読んだ本

「脳の闇」とは何なのか?

脳とは心なのか?

心とは何なのか?

この本の伝えたいことは何なのか?

「はじめに」と「あとがき」に次のことが書かれてありました。

本書は表面だけ読んでもそれなりに読めるようにはしたつもりだが、本意は声にならない声を聴くことのできる人だけが読めるように書いた。

本書を理解することが困難な人がもしいたとしたら、あなたの知的水準がいまいちなのは私のせいではないので、どうかそのことだけはご理解いただきたい。

引用元「脳の闇」 中野信子氏

「はじめに」と「あとがき」をとりあえず読む癖があります。

何となく本の内容がわかったりするから。

著者はわかりにくいことをかみ砕いてわかりやすく書くのは、面倒なのでそうはしていないそう。

この著者の思いに、心して読まないといけないと思ったのがまず第一の印象。

確かに難しかった~。

本書の伝えたいこととは少し違うのかもしれないけど、それなりに心に残ったこと。

待つと言う能動的選択

友人を選ぶときに、基準となる何かを1つ挙げろと言われたら、待つ楽しみを味わうことができる人かどうか、と言うのはかなり有力な候補となり得る。

引用元「脳の闇」 中野信子氏

待つ楽しみを味わう。

これは相当に厄介であるとおもう。

信号待ちというそのわずかな時間でさえ、いろいろな考え方の人がいる。

ただ何となく思考停止で立っている人。

待つことが苦痛で遠回りしてでも、少しでも進んでいたい人。

信号は守るものと決めている人。

私の思いと同じ人が本書に出てきたのでなぜかうれしかった。

自分は、ズレを楽しむために、わざわざ赤信号に従ってみるのだという。何事も、早ければ早いほどいいわけではない。自分が赤信号によって止まっている、信号が青になるまでの数十秒の間、そのわずかな時間のズレによって起きるかもしれない運命のいたずらを楽しんでいるんだ、というのだ。

引用元「脳の闇」 中野信子氏

このわずかなズレで未来に楽しいことが次々と起きているとしたら、信号の待ち時間さえ有意義な時間に思える。

実は信号を待つということさえ、運命なのかも。

大袈裟だろうか。

極上の孤独は蜜の味

いつもいつもひとりだと確かに寂しい気もするが、ずっと誰かと一緒にいるのもなかなかしんどいものではないだろうか。

ましてや同調圧力などかけられた日には、ひとりで孤独でいる方がなんぼか幸せじゃないかと思ってしまう。

それが私だけでないのがとても嬉しかった。

そんな孤独の時間は音楽を聴いたり、絵を書いたり、はたまたブログを書いたりして楽しんでいるのだからそれはそれでいいんじゃないかと思う。

いつもいつも誰かといると言うのは、私にとって相当なストレスなのである。

「ヴァルダロの恋人たち」の時間

北イタリア、マントヴァ近郊に抱き合ったまま亡くなった恋人の遺跡があるらしい。

5000年から6000年ぐらい前の遺跡なので、その間ずっと抱き合ったままだ。

けれども、現在でも、ずっと一緒にいたいといって心中を企図する人もいるのだ。十数年前にニュースになったものだが、77歳の夫と76歳の妻が睡眠薬などを服用して心中したと報じられたことがあった。

引用元「脳の闇」 中野信子氏

夫は特別養護老人ホームに入所をしていて、妻とは離れ離れに暮らしていた。

一時帰宅した夫と妻がずっと一緒にいたいからと自殺を図ったと言うことらしい。

こんな歳になるまでずっと一緒にいたいと自殺までしてしまう。

どんなに深い愛があったのだろうか。

私もそんなふうになれるかしら。

なりたいかな、どうだろうって思ったのだがまだ答えはでない。

最後に

つらつらと思ったことを書き留めただけですがどうぞお許しください。

脳の闇は実は何なのか。

中野氏からのメッセージに包まれたままです。

ただ私の知的水準ではあとせめて3回ぐらいは読み込めば、何かもっと理解できることもあるかなと思った次第です(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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