「おばあちゃん」は芸歴5年、77歳の芸人さんだった

舞台 日々の気づき

71歳で吉本興業の芸人養成所(NSC)に入り、72歳で芸人デビューした、その名も「おばあちゃん」

夢を追いかける若者だらけの世界にポツンとおばあちゃん。
入学式で生徒の祖母と間違われたり、合宿行くのに医者の許可を取りに行ったり
初めてすぎて、当人も受け入れる側もてんやわんや!

「僕らみんなのおばあちゃん」と若い芸人仲間や多くのスタッフに愛されるおばあちゃん。

知らぬ間に500人が参加するネタバトルで勝ち上がり、
神保町よしもと漫才劇場の所属メンバーになったという強すぎるおばあちゃん。

劇場所属をきっかけに多くのメディアで取り上げられ、目まぐるしい日々を送りながらも
「今日も楽しかった!」が口ぐせの77歳・おばあちゃん。

――おばあちゃんはなぜ芸人になったの? そして、なんでそんなに楽しそうなの?
クスっと笑えるエピソードやホロリとくる昔話までたくさん語ってくれました。

「まさか人生の終盤に差しかかり、ここまで慌ただしくも楽しい日々を送ることになるとは予想外でした。
 年だからとあきらめず、やりたいことに挑戦したご褒美でしょうか。
 いや、〝年だから〟できたんでしょうね。
 この本を読んで、「年を取ったからできることもあるのだ」と知ってもらえたら。
 そして、何かにチャレンジするきっかけになれたら、うれしいです」

ひまができ 今日も楽しい 生きがいを – 77歳 後期高齢者 芸歴5年 芸名・おばあちゃん

「古希過ぎ 第2のキャリア」日本経済新聞の記事より

「おばあちゃん」1947年生まれ

高度経済成長の真っ只中、母の「進学より手に職を」との考えから

中学卒業後進学をあきらめ事務職として働き始めた

20代で結婚もしたが進学したい気持ちから貯金をして通信制高校に進学

母への反発もあった

その後乳がんを患い一命をとりとめたが、人口胸を装着する生活を余儀なくされる

闘病生活で摩擦の痛みや発汗に苦しんだ

この経験を活かしたい、誰かの役にたつかもしれないと47歳で放送大学に進学

「乳がん手術後の発汗と下着」を研究

学会で発表するまでに

こんなスーパーおばあちゃんはなかなか見かけない

会社員を定年退職してから吉本興業の養成所へ

定年後は舞台鑑賞を楽しむ日々だった

偶然見た高齢者劇団に心ひかれ自分も舞台に立ちたいと思うように

舞台をみて自分がやりたいと思っても、実行に移す人は少ない

「おばあちゃん」のすごいところは、自分も舞台に立ちたいといろいろと調べて行動するところだ

しかし年齢を理由に舞台の学校に門前払いされたとか

今時、年齢が理由とはいかがなものか

こちらが月謝を払って行くのだから授業についていけなければ辞める話でいいのではないか

それにしても吉本は懐が深いのか

昔、エドはるみさんが40歳ぐらいなのに20代と偽って養成所に入ったのは聞いたことがあるが

そのごろは年齢制限があったのかどうか

「協力はできないが、邪魔はしない」

ご主人の言葉である

ご主人の年齢は憶測ではあるが「おばあちゃん」と変わらないか年上であろう

このくらいの年の方は奥さんが芸人になるなど反対する方が多いのではないか

さらに自分の食事はどうするのかとか

自分のことぐらい自分でできないと妻は困るのだ

舞台に立つ夢もあきらめなくてはならなくなるのだ

理解のあるご主人で素晴らしいと思う

現在77歳「おばあちゃん」の理想の生き方

人生の指針となる

といっても過言ではないだろう

20代は働きながら通信制高校への進学

47歳で大学に入り学会での発表

72歳で芸人というこれまでとはまるで違う世界へ

何より自分がやりたいこと好きなことをして収入もある

とにかく素晴らしいのである

70歳でなお新しいことに挑戦するバイタリティーはどこから来るのだろうか

悠々自適などという言葉にだまされて

ただ毎日をなんとなく過ごすなんて、なんともったいないことか

たとえ新聞に掲載されなくても、芸人にならなくても

これから10年あれば私も何かやり遂げることがあるのではないかと勇気をもらえる

理想の生き方だ

ただ、そのやりたいことはなんだろか(笑)

to be continued・・・hana

コメント